理想のカルチャースクールとは

「講師」としての活動を始めて10年になります。
私がなりたかった究極の講師像は「カルチャースクール」にあります。
これについては話せば、とても長くなるので、また改めて。今日は、コロナで講座が、休講や、中断や、延期になった2月からの「カルチャースクール」について思うことを書いてみたいと思います。

人生の後半で、クラスメートができる場所

カルチャースクールで「講師」をさせていただくようになったのは4年前。
各教室の担当者さんや、ディレクターさんと重ねる、講座が始まるまでのディスカッションは、本当に楽しく、広告や広報が出される日が、待ち遠しく、講座開催までの、「生徒さん、集まるかな」というドキドキも、講座初日の「受講したいと思った理由」を聞く初日の自己紹介も、楽しみでした。
そして、毎回、何より、新しいクラスを担当することが、何よりも嬉しくありがたいと感じていました。

コロナで一変した学びの現場

コロナウイルス感染症により、担当していた講座は、当初、自ら「高齢の親がいるので」「感染が心配なので」と、お休みする生徒さんが増えていきました。私自身も不安と安全を優先して「講座の中断」を決めました。また、開催母体自体が「中止」を決めたものもありました。
そのような、コロナ禍の中、少し落ち着きを取り戻した7月から始まった講座があります。
自治体が開催する講座なので、教室の広さや、環境も管理されていて私自身も安心して登壇できます、おしゃれより、見た目より、安全を最優先に不織布のマスクしかつけません。受講するみなさんも同じです。
「先生、どんな顔なんやろう?」「クラスメートのあの人は、いくつかしら?」・・・いつか来るマスクなしの対面は、嬉しいような、少し怖いような、楽しみが増えましたね。
「楽しみ」は先にとっておくことにしましょう。

大人になってクラスメートができるっていいと思う

11月に、クラスの仲間が、急な病となり、講座をお休みするという連絡がありました。
まだ、彼の素顔を見たこともないというのに・・・・。
私は、趣味の押し花で、カレンダーを作り、クラスメートはカードにメッセージを書いてくれました。

カルチャースクールで、私が担当する講座は「大人が、自分の人生を顧みて、自己肯定し、更に無条件の肯定感を持てる場所」だと考えています。今回の出来事は、年代の違う偶然集まった大人が、学びあい、言葉を交わし、同じ時間を共有することで、人生の後半に「クラスメート」ができることが、カルチャースクールの楽しさと、面白さだと改めて感じさせてくれました。

順調に回復していますとお返事をいただいたので

とても安心しています。本当にたくさんの学びの場を通して出会うみなさんへ、こうして時々思いを書いてみることにします。
本当にいつも丁寧に受講していただいてありがとうございます、いつもそんな気持ちです。